10月22日秋の特別礼拝・宗教改革500周年記念礼拝報告

 10月22日は秋の特別礼拝・宗教改革500周年記念礼拝、小田部進一牧師(玉川大学教授)をお呼びして、礼拝と講演を開催しました。多様な視点から宗教改革の意義を伝えていただそのすべてをお伝えすることはできないのですが、ざっくりとまとめてみました。(報告:石井智恵美)

■礼拝の使信「宗教改革と生きる勇気」では、1517年10月31日にルターが免罪符に対する「95か条の論題」をヴィッテンベルグの城教会に張りだしたところから宗教改革ののろしが上がったことからの話が始まり、「プロテスタント」という言葉のはじまりや、ルターが聖書を読み込んで発見したパウロの「信仰義認」、特に「神の義の受動性」の発見ついて語られました。
 また、ルターの生きた時代に人々は、「突然の死」を恐れていました。神の裁きの前に魂の準備ができていないことを恐れたのです。現代に生きる私たちは何を恐れているのでしょうか?「人が恐い」と語った学生のエピソードなどが紹介され、そのような恐れをどのように克服できるのか、「生きる勇気」の問題が最後に語られました。
 「美しいから愛されるのではない、愛されるから美しいのだ」という言葉が印象的でした。神の愛は、条件によるものではなく、まず人と愛という関わりを結んでくださる、その関わりの中にあるものは、だれもが美しいのだ、というメッセージでした。

■講演「ルターの生涯と宗教改革ー宗教改革のはじまりの『はじまり』」
では、パワーポイントを使って、たくさんのルターゆかりの地や教会、当時の木版画や絵画の紹介がされ、聴衆の理解も深まりました。神の恵みにとらえられた個人の良心は、人々の魂に自由と勇気を与える。そこに宗教改革が明らかにした意義がある。だから、ルターを英雄視するのではなく、それぞれが神の恵みによって与えられた個人の良心を、生きてゆこうという力強いメッセージをいただきました。

 終わっての歓迎昼食会でも質疑応答がなされ、「信仰義認」と「行為義認」について、またルターの農民戦争やユダヤ人を排除するような発言とそれを利用したナチス・ドイツの関わりについて、等の質問が出されました。やはり、ルターをただ英雄視するのではなく、批判的に継承してゆくことの大切さが語られました。長時間にわたってありがとうございました。
                   写真:講師の小田部進一牧師(玉川大学教授)